市民・女性に関する内容《生活の質の追求》 > エネルギーを少なくして豊かさを実現する政策
▼No.市民4-1a
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エネルギーを少なくして豊かさを実現する政策
≪生活の質に関する哲学≫
 「地球温暖化が人類を滅亡させるかもしれない」という有史以来かってなかた事態を前にして、私たちは、「人間のつくりだす生活の質をどう考えるべきなのか」を、真剣に考え直さなければならなくなりました。  「私はどこから来たのか、私は何者なのか、私はどこへ行くのか」(ゴーギャン)を問うことが重要となります。
 そこで、「人間とは、何か」が問われることになるわけですが、かって、エンゲルスが、「人間とは、二重の意味での再生産者だ」と規定し、これを“歴史の究極的規定要因”(『家族、私有財産、国家の起源』)と述べたことがあります。これが人間を考える共通の出発点となることは多くの人の認めるところです。
 つまり、①生命の再生産者である、②生命を再生産するために必要な使用価値の再生産者である、ということです。

  • ①生命の再生産者として、子供を生み、育て、自らの健康を維持し、発達する存在になる、ということです。ここから、お金よりも重要な「生命の重視」、そこから出てくる「平和、人権(教育、福祉、医療)」という価値観の重視が導き出されます。
  • ②次には、使用価値の再生産者である、という規定を深めてみましょう。
    生存のための「使用価値を再生産する」ということになると、「食糧、エネルギー、住宅の自立・自給」が必要となります。

 ここには、現状ように“カネを儲ければ幸せになるという価値観”が入り込む余地はありません。それなのに、現状では“金儲けするのが勝ち”という価値観一色に染まっている感じさえあります。
≪地球1個以上の現状の生活≫

インドの哲人ガンジーは、「地球には人が生きていくために必要なものはあるが、人間のすべての欲望を満たすだけのものはない」といって、インド民族が理想とすべき文明の原理を述べました(資料参照)
ところが、現状の生活は、利益追求のために非常に浪費的なものとなり、資源を大量に収奪し、大量生産、大量消費、大量廃棄し、地球を破壊する生活・生産様式が一般化しています。
その結果、「エコロジカル・フットプリント」(資料参照)の理論に従えば、世界中がアメリカと同じ物質・エネルギーの生活をすることになれば、地球が4個必要となり、欧米や日本と同じ生活様式となれば、地球が2個必要だといわれます。人類全体の生活水準でみれば、地球が1.5個必要な生活を送っています。通常は、地球の資源エネルギーの提供能力を超えることが出来ないはずのものですが、1個を超えることが出来たのは、多種類の希少資源や石油、石炭、天然ガス等の過去に地球が蓄積した資源・エネルギーという有限の貯金を食いつぶしてきたからです。この再生不可能な資源・資源エネルギーの食いつぶしは、石油の場合、20年程度(資料参照)で終わりますし、その他の物質も、21世紀で終わりになるものがほとんどです。その後は、ふたたび、再生可能資源・エネルギー中心の生活・生産様式に戻らざるをえません。
その意味では、21世紀というのは、人類の長い歴史の中で、非常に特異な時代、すなわち、再生不可能な資源エネルギーへの依存から、再生可能な資源エネルギー依存へ移行する特殊な時代、持続不可能な生活・生産様式から持続可能な生活・生産様式に移行する時代と言うことができます。

≪地球温暖化対策と同時並行で進める平和と人権の重視≫

 この移行の時代に、どうしても重視して考えるべきことは、地球の4個分、2個分の生活・生産様式を送っている国々は、地球1個分の生活に戻ること、現状では、1個平均以下の生活・生産を様式を送っている途上国は、先進国の“浪費的な”生活の後追いをするのでなく、最初から“新しい持続可能な生活様式”をつくる気概で、生活・生産様式づくりに臨む必要があるということです。
 その基本原則を忘れると、アメリカは「なぜ、資源エネルギーの使用で、8割カットしなければならないのか」日本やヨーロッパは「6割~8割カットしなければならないのか」という疑問に対応できなくなります。
 同時に、中国やインドやその他の途上国が、なぜ、自動車や電気の使用で、「いわゆる先進国」の後追いをしてはならないのかも分からなくなります。
 また、その原則が守られないと、国際的に、資源エネルギーを争奪戦がおきて、予想外の世界大戦争に発展する可能性があります。国内においても、人権が守られない多くの貧困者を生み出し、“それは貧困者の自己責任だ”という論調がまかり通ることとなります。
 だからといって、現状の私有財産制度のもとで、グローバリゼーション下の大競争を、日夜闘っている人間、金儲けの第一線で、強い欲望を持つ(持たなければ負ける)人間に、「そうした生活・生産様式づくりに参加しましょう、そのためには、憲法9条(平和条項)、13条(個人の尊重と公共の福祉)、25条(文化的生存権)、26条(教育を受ける権利)、27条(労働する権利と義務)を生かして、それを現実のものとしよう」といっても不可能なことかもしれません。
 そうではなく、ここは、一握りの国際的な大資本の支配のくびきから自覚的に離脱している人、客観的に排除されている人、離脱しようと考えている人が、(圧倒的に大多数なのですから)力を合わせて、世の中を変革していく以外に道はないものと考えます。
 そのためには、国際的な大資本の支配の体系と異なる新しい“持続可能な経済運営の体系”も確立しなければなりません。
 その実践もすでに見え始めています。
 その体系を持つ社会は、価値観的には、その地域の“自然と社会と人間を生かし”つつ、“量の経済”から“質の経済”に転換するものであること、同時に、そのことは生活が美しいバランスの取れたものになること、競争の勝者はいたとしても、弱者にやさしい価値観を堅持していること、が必要でしょう。
 地域の規模としては、人間関係が、ある、見える、地域の運営に個人々々が参加できること、それがゆえに人間として責任をもつことが常識となる規模の“根元的民主主義に基づく自立した地域経済”を、社会を基礎とすること、経済の主体としては、“中小企業と社会的企業体”と“その協同連合”が中心となり、“民主的地方自治体”がこの路線を推進する中心となることが、必要条件となります。

(地球温暖化対策推進委員会)